しかなかったこと。

久しぶりのブログはポエムチックで自分語りな記事になっております。

そこを注意して、理解のあるかただけお読みください。

 

いいですね?忠告しましたよ??誹謗中傷されたらもう真っ赤な顔して反論しますからね???いいですか????いきますよ?????

 

 

 

 

 

 

 

 

小さい頃から大人になった今まで、「これしかない」と思って生活をしてきた。

 

運動音痴だったので運動部に入ると周りから置いていかれそうで怖かったから、吹奏楽部に入部した。

 

勉強ができないうえに、周りと同じことをしたくなかったから、大学にいかず専門学校に入学した。

 

専門学校の授業が忙しくて、就職活動をしなかったため、アルバイトしていた会社からそのまま就職をした。

 

これらすべて当時は「自分はこれしかできないから、これを極めよう」と本気で思っていた。自分のやりたいことを実現するため、自分が決めたことと思って、今まで人生を送ってきた。

 

でも見方を変えると、

「運動ができないなら頑張って練習して上手くなればいいじゃないか」

「頑張って大学に入ってやりたいことを実現させたらよかったじゃないか」

「就職活動と学業を両立させたらもっと選択肢があったんじゃないか」と、これを書いている自分がすでにそう思っている。

 

でもきっと、当時の自分は「自分にはこれしかない」「これがやりたい」と思っていた。本当はもっと違う人生があったのかも しれないのに。しかし後悔ばかりかというと、そうもないのが正直な話。選択肢を決めつけなくてもよかったかもなとは思うことはあるけれど、たいした問題ではない。

 

てんとう虫コミックスドラえもん」の第1巻収録の「未来の国からはるばると」という話の中で、のび太の子孫のセワシくんとドラえもんが、こんなことを言っていた。(一部改変がありますがご容赦ください)

 

「東京から大阪まで、飛行機でいっても新幹線でいっても船で行っても、結局は同じ場所につく。過去を変えても辻褄を合わせれば僕は生まれてくるのさ」

 

この言葉を自分勝手に解釈すると、「目的に向かう手段が1つではない。」ということ。一見きれいごとのように聞こえる言葉だが、これは意外と的を射ているなぁと思いう。自分は周りとうまくコミュニケーションがとれず、自分の殻から見える世界で生きてきたのだなと感じた今日この頃。

「これしかできない」「これしかない」という気持ちは自分の力になる。なんでも自分でできるようになる。でもそれは、本当は損している気がした。自分の言葉を聞いてくれる人や協力してくれる人、共感してくれる人がまわりにいることは幸せなこと。なんでもひとりでやってしまうと、周りがはいりこめなくなって自分と他者の間に隔たりができてしまう。それはとても寂しいことだ。現に今、自分には友達と呼べる人が少ない。ガンガン突き進んでいったら周りを無視しつづけてしまった。それでも、これも自分が決めたこと。時間は戻らない、ただ前に進んでいるだけ。だからせめて未来は少しでも、いろんな考え方ができるようになりたいなと思う。「30を超えて何をいっているんだ」と思うかもしれないけれど、30を超えたからこそ率直に思い感じている。

 

乱文にて失礼しました。

この記事は全体を通して読んでいただくより、言葉の一節を見ていただいた方が楽しいと思います(ただ単純に文章が下手くそなだけですごめんなさい)